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2.5 千葉教会 ドイツ人 R.ゼール設計 明治28年竣工

 千葉教会は千葉県庁の前に明治28年に竣工したハンマービームの小屋組を有した木造平屋の教会で、千葉県有形文化財の指定を受けた建物である。 成瀬記念講堂より10年前、同志社礼拝堂の10年後に出来た建物である。 千葉教会は規模的にも比較にならないほど小さな建物である。 また、天井の形は成瀬記念講堂のように小屋組を現わした空間と違い、千葉教会は折上天井を設け小屋組を現わしてない建物である。 同志社礼拝堂にはハンマービームを結ぶ鉄製のタイバーは無いが、成瀬記念講堂、千葉教会は化粧されたハンマービームの木口から鉄製のタイバーが設けられている。 外壁のドイツ下見張り材は当時ドイツから輸入されたといわれている。 設計者はドイツ人技師 リヒャルト・ゼールである。ゼールは1845年ドイツで生まれ、明治8年にエンデ&ベッグマン事務所に入所し現場監督として庁舎、 ユダヤ教教会などの建設に携わり、明治21年に臨時建設局に招聘され来日した。 明治23年に臨時建設局が廃止されたが日本政府との雇用関係は明治26年3月まで続き旧法務省本館などの公共建築の建設を指揮していた。 明治23年ごろ独立し東京、仙台などでアメリカン・ミッションの設計活動と横浜、神戸、函館、上海、北京、天津等で銀行建築設計を行っている。 明治30年ごろ横浜に設計事務所を開設している。明治36年に設計事務所はデ・ラランデに引継ぎ、明治36年11月にドイツに帰国し、設計活動を行っている。

図6 千葉教会堂 スパン7.2m

写真2 三田美以教会

 外人建築家が地方の小さな教会の設計をした経過が千葉教会100年史に書かれている。 「設計は当初、当時千葉中学校の教師エドワード・ガントレットであったが、 明治学院のランディス教授にみせたところ、不備な点があるというので友人ゼールを紹介され、 ゼールの設計でその頃三田に新築された美以教会の会堂の設計図をもらい受けた。 ゼール監督のもとに豊田尚一が主任となって施工した」と記されている。 参考にした明治25年頃に三田に新築された美以教会の会堂がどのくらいの規模か、ハンマービームを使用しているかを調査した。 教会は戦争中に強制疎開命令を受け取り壊しとなり、戦後、三田美以教会は銀座教会と合同し現在に至っている。

 三田美以教会に ついては講壇が銀座教会堂の1階に展示してあるのみで、建物の外観写真2は銀座教会90年史にあるのみで、 設計者、設計仕様等の史料は無く不明であった。 銀座教会90年史にある外観写真とゼールの設計とはっきりわかっている同志社クラーク記念館(神学館)の外観写真3、 および千葉教会堂の竣工時の写真4を見比べると、これらは建物構成が非常に似ているので、これらの建物の設計者はゼールであると思われる。 千葉教会は創建当時と較べ、台風で塔が壊れ一部模様替えをしているが、窓が内開きのままで雨漏りがあるが120年もの間、 大切に使用されていることに感激した。また、平成12年夏に見学と写真撮影をお願いしたときに手狭になったために建てかえの話が出はじめていると聞き是非保存をとお願いをした。 平成14年春に牧師さんから新しい教会を別敷地に建てこの教会を保存することに決まったと知らせを頂いた。  以上、見てきたように、同時期に似たような形式の天井を持った建物が同志社クラーク記念館内教会(ゼール 明治26年竣工 折上天井 タイバー使用)、 平安女学院明治館(ハンセル 明治27年竣工 折上天井 ハンマービーム タイバー使用)、 千葉教会(ゼール 明治28年竣工 折上天井 ハンマービーム タイバー使用)とつながり建設されていた。

写真3 クラーク館

写真4 創建当時の千葉教会堂

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